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ベルトルト・ブレヒト Bertolt Brecht |
主な作品
| 「バール」Baal 1919年 | |
| 左翼的な心情は持っていたが、むしろフランソワ・ヴィヨンの無頼の精神に惹かれていた。 | |
| 「夜鳴る太鼓」Trommeln in der Nacht 1919年 | |
| 22年に初演。実際に舞台にのった最初の作品。50年代の初めまで幾度も修正を加えていた。 | |
| 「家庭用説教集」Hauspostille 1927年 | |
| 16〜25年の作品を集めた詩集。ドイツのランボーと評判。 | |
| 「三文オペラ」Dreigroschenoper 1928年 | |
| ベルリンでは1年以上のロングラン。世界中で演じられた。それまでの「kulinalisch(美食的)」オペラを改革したが、この大ヒットがブレヒトの意図を理解したものであったかどうかは疑問。 | |
| 「畜殺場の聖ヨハンナ」Die heilige Johanna der Schlachthöfe 1930年 | |
| 戦後東ドイツでは社会主義リアリズムに沿っていないという理由で上演禁止。 | |
| 「ガリレオの生涯」Leben des Galilei 1938年 | |
| 亡命先で書いた。ヒロシマ、ナガサキの後、当初よりも科学者の責任に重点をおいた書き加えがされた。 | |
| 「セチュアンの善人」Der gute Menschen von Sezuan 1938〜40年 | |
| 叙事的教育劇の見本的作品。古典的演劇の要素はことごとく放逐されている。 | |
| 「肝っ玉おっ母とその子供達」Mutter Courage und ihre Kinder 1939年 | |
| 異化効果がよく効いている。 | |
「肝っ玉おっ母とその子供達」のあらすじ
日本語では以下の書籍が入手可能です。
| 1898年 | アウクスブルクで裕福な市民の次男として生まれる。 |
| 1917〜18年 | ミュンヒェンの大学で自然科学、医学、文学を学ぶ。 |
| 1918年 | 野戦病院で衛生兵として働く。パウラと知り合い19年長男フランクが生まれる。 |
| 1919年 | 初めての戯曲「バール」、「夜鳴る太鼓」を書く。 |
| 1920年 | この頃からベルリンへよく出かけ劇場関係者たちと付き合う。 |
| 1922年 | 「夜鳴る太鼓」でクライスト賞受賞。女優でオペラ歌手マリアンネ・ツォフ(Marianne Zoff)と結婚。 |
| 1923年 | 長女ハンネ生まれる。直後、最後の妻となるヘレーネ・ヴァイゲル(Helene Weigel)と知り合い、24年にはヘレーネの息子シュテファン生まれる。 |
| 1926年 | ツォフと別れ、ヘレーネと結婚。 |
| 1928年 | クルト・ヴァイル(Kurt Weil)の音楽で「三文オペラ」が大成功を収める。この収入で最初の家を買う。 〈20年代の後半に確信的な共産主義者となる。上演劇団も商業劇団から労働者合唱劇団や党の情宣劇団にうつる。しかし共産党に入党はしなかった。〉 |
| 1929年 | 娘バルバラ生まれる。 |
| 1932年 | 「母」(ゴーリキー原作、ブレヒト演出)を当局の禁止に抗して平服のまま上演。その後ブレヒト劇の上演はますます困難になる。 |
| 1933年 | 2月27日の国会議事堂放火事件をきっかけに共産主義者に対する弾圧が激化。ブレヒトはすばやく28日未明、妻とともにドイツ脱出。長い亡命生活の始まり。プラハ、ウィーン、チューリヒ、パリ、デンマーク(5年滞在)、ストックホルム、ヘルシンキを転々とする。 |
| 1941年 | モスクワ経由ウラジオストック、船でカリフォルニアへ。アメリカではまるで“生徒のいない先生”。 |
| 1947年 | 10月30日、非米活動委員会に召喚される。翌日今回もすばやくアメリカ出国。パリ経由でチューリヒへ。西ドイツへの入国は拒否される。 |
| 1948年 | 10月22日プラハ経由、東ベルリンへ戻る。 |
| 1949年 | ヘレーネ・ヴァイゲルとともにベルリンアンサンブル(Berliner Ensemble)を設立。ヨーロッパの大都市で上演。 |
| 1953年 | 6月17日労働者の抗議デモが行われたとき、その日のうちにウルブリヒト国家評議会議長に手紙を出した。しかしウルブリヒトは自分に都合のよい部分だけを公表したので、その後のブレヒトは明らかに政府とは距離を置いた。 〈東ドイツの文化官僚主義とは緊張関係が続き、いくつもの作品が上演禁止された。 晩年は才能の育成に心を注いだが、実践の場に立たせることはほとんどできなかった。〉 |
| 1954年 | 国際スターリン平和賞を受賞。モスクワで受け取る。 |
| 1956年 | 5月インフルエンザで入院。8月12日心筋梗塞。8月14日永眠。 |