ベルトルト・ブレヒト
Bertolt Brecht

 ブレヒトを語るとき欠かせない2つの言葉がある。叙事的演劇(das epische Theater)と異化効果(der Verfremdungseffekt)。この2つの概念によって、ブレヒトは演劇の歴史に大きな革命をもたらした。ブレヒトにとって劇とは暇つぶしの娯楽ではなく、大団円でカタルシスを味わうためのものでもない。観客を舞台上で演じられている話の筋に感情移入させず、登場人物にも同化させない。そうではなく劇を見ることによって現実の社会の構造やその中の自分の位置を知り、世界を変える可能性を考える。こうした教育的目的を持った劇が叙事的演劇(後にブレヒト自身は弁証法的演劇 das dialektische Theaterと言った)である。異化効果はそれを可能にするための手段であり、当時ソ連で始まり盛んになっていたスタニスラフスキーメソッドの対極にあるものであった。役者は役になりきるのではなく、いわば外側から役に近づくことが要求され、挿入される歌は先ほどまでの自分のせりふとは矛盾している。観客は引き込まれそうになっては突き放され、登場人物の気持ちになりきることは拒否される。だからブレヒトの劇は分かりにくく鑑賞しにくいのが本質とも言えよう。


年譜

 

主な作品

「バール」Baal 1919年
 左翼的な心情は持っていたが、むしろフランソワ・ヴィヨンの無頼の精神に惹かれていた。
「夜鳴る太鼓」Trommeln in der Nacht 1919年
 22年に初演。実際に舞台にのった最初の作品。50年代の初めまで幾度も修正を加えていた。
「家庭用説教集」Hauspostille 1927年
 16〜25年の作品を集めた詩集。ドイツのランボーと評判。
「三文オペラ」Dreigroschenoper 1928年
 ベルリンでは1年以上のロングラン。世界中で演じられた。それまでの「kulinalisch(美食的)」オペラを改革したが、この大ヒットがブレヒトの意図を理解したものであったかどうかは疑問。
「畜殺場の聖ヨハンナ」Die heilige Johanna der Schlachthöfe 1930年
 戦後東ドイツでは社会主義リアリズムに沿っていないという理由で上演禁止。
「ガリレオの生涯」Leben des Galilei 1938年
 亡命先で書いた。ヒロシマ、ナガサキの後、当初よりも科学者の責任に重点をおいた書き加えがされた。
「セチュアンの善人」Der gute Menschen von Sezuan 1938〜40年
 叙事的教育劇の見本的作品。古典的演劇の要素はことごとく放逐されている。
「肝っ玉おっ母とその子供達」Mutter Courage und ihre Kinder 1939年
 異化効果がよく効いている。

 

「肝っ玉おっ母とその子供達」のあらすじ
 舞台は17世紀の三十年戦争。肝っ玉おっ母は車を引いて軍隊にくっついた小さな店を営んでいる。彼女には息子が二人、娘が一人いる。一人の息子はその「勇敢さ」故に死なねばならない。その「勇敢さ」というものは戦時には賞賛されるが、同じことを平和時に行えば死罪となる。もう一人の息子は「正直さ」故に死ぬ。「正直に」守っていた金庫は戦争を続けるためのものであり、状況によって「正直さ」が無意味になることが理解できなかった。母は二人の死から何も学ばず相変わらず軍隊にぶら下がっている。娘のカトリンは兵隊の乱暴のせいで口が利けなくなった醜い娘だが、子供達の命を救うため、身の危険を顧みず村に危険を知らせる。多分彼女も軍隊に殺されるだろう。

 この劇が、子供を奪われる母の悲劇として受け取られることをブレヒトは否定した。挿入される歌が悲劇的な筋の展開を立ち止まらせ、全体の状況を見渡すことになる。母親が子供を奪われていながらなぜ何も学ばないのか、と観客は考えさせられる。カトリンだけが変革の可能性を知らせてくれる。彼女の真の「勇気」をしかし母親は嘆くのみである。

 

日本語では以下の書籍が入手可能です。

『ブレヒト戯曲全集〈第1巻〉〜〈第8巻〉』 岩淵 達治 訳(1998〜1999)
   ¥ 3,800〜4,500(税込)
『ブレヒト戯曲全集 別巻』 高橋 義孝 訳(2001)
   ¥ 3,800(税込) ISBN9784624932794

 以上、未来社

『三文オペラ』 岩淵 達治 訳(2006 文庫)
   ¥ 735(税込) ISBN9784003243916
『肝っ玉おっ母とその子どもたち』 岩淵 達治 訳(2004 文庫)
   ¥ 735(税込) ISBN9784003243930

 以上、岩波書店

『ブレヒト詩集』 長谷川 四郎 訳(1998 新装版)
   ¥ 3,800(税込) ISBN9784622049241
『ブレヒトの写針詩』 岩淵 達治 訳(2002)
   ¥2,520(税込) ISBN9784622048275

 以上、みすず書房

『ブレヒト全書簡』 野村 修 訳(1986)
   ¥ 8,298(税込) ISBN9784794924636
『ブレヒト愛の詩集』 野村 修 訳(1984)
   ¥ 2,854(税込) ISBN9784794935151

 以上、晶文社

『ベルトルト・ブレヒトの仕事 全6巻』(2006年〜刊行中 新装新版) 河出書房新社
   ¥ 4,200〜(税込)

『ブレヒト詩集』 野村 修 訳(2000 ソフトカバー) 土曜美術社出版販売
   ¥ 1,470(税込) ISBN9784812012598

原書で入手できるもの

書名:Die Dreigroschenoper
 出版社:Suhrkamp
 ISBN:351810229X

書名:Gedichte in einem Band
 出版社:Suhrkamp
 ISBN:3458346708

書名:Leben des Galilei/b>
 出版社:Suhrkamp
 ISBN:3518188011

書名:Mutter Courage und ihre Kinder
 出版社:Suhrkamp
 ISBN:3518188119

書名:Ausgewaehlte Werke in sechs Baenden
 出版社:Suhrkamp
 ISBN:3518457322

このほか、ドイツのAmazon(http://www.amazon.de/)では多くの作品が入手できま す。

 

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1898年 アウクスブルクで裕福な市民の次男として生まれる。
1917〜18年 ミュンヒェンの大学で自然科学、医学、文学を学ぶ。
1918年 野戦病院で衛生兵として働く。パウラと知り合い19年長男フランクが生まれる。
1919年 初めての戯曲「バール」、「夜鳴る太鼓」を書く。
1920年 この頃からベルリンへよく出かけ劇場関係者たちと付き合う。
1922年 「夜鳴る太鼓」でクライスト賞受賞。女優でオペラ歌手マリアンネ・ツォフ(Marianne Zoff)と結婚。
1923年 長女ハンネ生まれる。直後、最後の妻となるヘレーネ・ヴァイゲル(Helene Weigel)と知り合い、24年にはヘレーネの息子シュテファン生まれる。
1926年 ツォフと別れ、ヘレーネと結婚。
1928年 クルト・ヴァイル(Kurt Weil)の音楽で「三文オペラ」が大成功を収める。この収入で最初の家を買う。
〈20年代の後半に確信的な共産主義者となる。上演劇団も商業劇団から労働者合唱劇団や党の情宣劇団にうつる。しかし共産党に入党はしなかった。〉
1929年 娘バルバラ生まれる。
1932年 「母」(ゴーリキー原作、ブレヒト演出)を当局の禁止に抗して平服のまま上演。その後ブレヒト劇の上演はますます困難になる。
1933年 2月27日の国会議事堂放火事件をきっかけに共産主義者に対する弾圧が激化。ブレヒトはすばやく28日未明、妻とともにドイツ脱出。長い亡命生活の始まり。プラハ、ウィーン、チューリヒ、パリ、デンマーク(5年滞在)、ストックホルム、ヘルシンキを転々とする。
1941年 モスクワ経由ウラジオストック、船でカリフォルニアへ。アメリカではまるで“生徒のいない先生”。
1947年 10月30日、非米活動委員会に召喚される。翌日今回もすばやくアメリカ出国。パリ経由でチューリヒへ。西ドイツへの入国は拒否される。
1948年 10月22日プラハ経由、東ベルリンへ戻る。
1949年 ヘレーネ・ヴァイゲルとともにベルリンアンサンブル(Berliner Ensemble)を設立。ヨーロッパの大都市で上演。
1953年 6月17日労働者の抗議デモが行われたとき、その日のうちにウルブリヒト国家評議会議長に手紙を出した。しかしウルブリヒトは自分に都合のよい部分だけを公表したので、その後のブレヒトは明らかに政府とは距離を置いた。
〈東ドイツの文化官僚主義とは緊張関係が続き、いくつもの作品が上演禁止された。
晩年は才能の育成に心を注いだが、実践の場に立たせることはほとんどできなかった。〉
1954年 国際スターリン平和賞を受賞。モスクワで受け取る。
1956年 5月インフルエンザで入院。8月12日心筋梗塞。8月14日永眠。
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