Hoffmann
E.T.A. ホフマン
E.T.A. Hoffmann

 ホフマンは本名E.T.W. Hoffmann。3つ目の名前A.はアマデーウスのAで、モーツァルトを敬愛するあまり、本名のヴィルヘルム (W.) を自分で変えたものである。ホフマンは怪異、幻想小説を書いた代表的なロマン派の作家と見られているが、本人は音楽家として成功することをずっと願っていた。音楽家としても作家としても名が知れるようになるのは30代も終わり頃になってからだ。
 注文に応じて小説はどんどん書けた。作曲の方は完璧を目指して苦しんだ。それは、彼にとって文学は片手間で、本来は音楽をやりたかったから、と見ることもできよう。音楽では唯一のオペラ「ウンディーネ」が最も知られているが、作曲のほかに音楽に関する文章も多く、『音楽新報』の原稿料は、もう一つの才能を生かした反ナポレオンの戯画とともに一時期ホフマンの生活を支えた。更に司法官としての人生も生きた。プロイセンの政治的変動の為に途切れることもあったが、結局死の年まで大審院判事として働き、思想統制に進もうとする政府を相手に、猛然と戦った。だからといって彼は世界を改良しようとしたわけではない。外に向かっては内面の自由な空間を守り、しかし主観絶対主義を政治に持ち込もうとする当時の国粋主義者たち、主に学生組合Burschenschaftの一派には滑稽な全体主義を見ていた。昼は有能な判事として働き、夜は酒場で大騒ぎを演じるホフマンにあっては、生き方も小説もキーワードはイロニーIronie。ひたりきらない事、とでも言おうか。現実にも幻想にも、自分にも相手にも、夢にも絶望にも。死さえも生の側につけてしまった。死の床でも陽気にジョークをとばし、全身が麻痺してから死までの3か月間に三つの作品を口述で完成させ、一つだけが未完であった。
 しかし死後、ドイツでは流行作家ホフマンはすぐに忘れ去られた。当時から高い評価をしていたのは主にフランスの作家たちだった。ユーゴー、ボードレール、モーパッサン、更にプーシキン、ドストエフスキー、ポーにも影響が見られるという。フロイトが現れ、人間の未知の奥底に惹きつけられた表現主義者たちが登場した20世紀の初頭、ようやくホフマンはドイツ文学の巨星となった。


年譜

 

主な作品

「騎士グルック」 Ritter Gluck
 「音楽新報」に始めて載った作品。奇譚の形をとりながら音楽論を語っている。
「悪魔の霊液」 Die Elixiere des Teufels
 不運の真っ只中で自分を空っぽにするつもりで一気に書き下ろした。狂気をこのように内側から描いた作家はこれまでなかった。
「黄金の壺」 Der Goldene Topf
 ホフマンは自分の最高の作品だと思っていた。主人公は幻想のユートピアの中に入り込んでしまう。
「くるみ割り人形とねずみの王様」 Nußknacker und Mausekönig
 チャイコフスキーのバレエ音楽で有名。
「砂男」 Der Sandmann
 フロイトがエディプス・コンプレックスの古典的ドラマとして解釈した。「黄金の壺」とは反対に幻想が破滅へと通じてしまう不気味な物語だが、レオ・ドリーブはここから楽しいバレエ音楽「コッペリア」を作ってしまった。
「ブランビラ王女」 Prinzessin Brambilla
 ハイネはこれをホフマンの最高傑作と認め、これを読んで頭がおかしくならないような人間はそもそもおかしくなるような頭を持ち合わせていないのだ、と言った。しっちゃかめっちゃかの狂想曲である。
「牡猫ムルの人生観」 Lebens-Ansichten des Katers Murr
 俗物教養猫ムルの自伝に懐疑的な音楽家クライスラーの物語が混ざりこんでしまった形になっている。クライスラーはホフマンの分身で生い立ちや、ユーリアへの愛など伝記的事実が語られている。夏目漱石がヒントにした、と言う説もある。
「従兄の隅の窓」 Des Vetters Eckfenster
 病気で動けない従兄が窓から人々を眺めている。想像力と観察力を武器に生きている従兄の姿がホフマンと重なる。

 

「砂男」のあらすじ
 大学生のナタナエルには故郷に恋人クラーラがいるのだが、隣の家の窓から彼に微笑みかけてくる女性を望遠鏡を通して見るうちに、彼女に恋をしてしまう。その望遠鏡はコッポラと言う名の男から手に入れたものだが、コッポラがナタナエルの父親の死に関係のあるコッペリウスなのではないか、と彼は不安に思っている。
 隣の家のパーティーに招かれてナタナエルはあの女性、オリンピアと知り合い、ますます激しい恋に陥ってしまう。オリンピアは情熱的に彼を見つめるだけで、異を唱えたりわがままを言ったりしない。しかしとうとうオリンピアは人間ではなくオリンピアの父親と称する物理学の教授とコッポラの合作した精巧な人形ということがわかる。
 ナタナエルは気が狂ったようになるがやがて落ち着き、クラーラと幸せな生活を送れるかに見えるが、しかしまたもやあの望遠鏡のために狂気に陥り、クラーラを殺そうとして過って塔の下に落ち、死んでしまう。何年か後、クラーラは夫と二人の子供のいる幸せな家庭を築いている。ナタナエルとはとてものぞめない幸せだ。

 この恐怖小説で最もぞっとするのは、ナタナエルの狂気でもコッポラの言葉でもなく最後の文章にこめられた皮肉と諦念である。ホフマンはナタナエルであり、常識的で賢いクラーラとは別の世界に住んでいる、ということなのか。心理分析の練習にはなるほどぴったり。

 

日本語では以下の書籍が入手可能です。

『悪魔の霊酒(上)』 深田 甫 訳(2006 文庫)
   ¥ 1,260(税込) ISBN4480422072 筑摩書房
『悪魔の霊酒(下)』 深田 甫 訳(2006 文庫)
   ¥ 1,260(税込) ISBN4480422080 筑摩書房

『くるみ割り人形』 池田 香代子 訳(2005)
   ¥ 2,100(税込) ISBN4776401509 BL出版
『クルミわりとネズミの王さま』 上田真而子 訳(2000)
   ¥ 672(税込) ISBN4001140756 岩波書店
『くるみわり人形』 渡辺茂男 訳(1993 新装版)
   ¥ 3,675(税込) ISBN4593521327 ほるぷ出版
『くるみわり人形』 大河原晶子  訳(2005 新装改訂版)
   ¥ 599(税込) ISBN4591089274 ポプラ社
『くるみわり人形』 植田 敏郎  訳(1992)
   ¥ 819(税込) ISBN4082590048 集英社
『くるみわり人形』 金原瑞人  訳(1998)
   ¥ 3,885(税込) ISBN4890138765 西村書店
『くるみわり人形』 深田 甫 訳(1989)
   ¥ 840(税込) ISBN4591033066 ポプラ社

原書で入手できるもの

書名:Meister Floh
 出版社:Reclam
 ISBN:3150003652

書名:Der Sandmann
 出版社:Insel
 ISBN:3458326340

書名:Der Goldene Topf
 出版社:Suhrkamp
 ISBN:3518188313

 

年譜  ページTOPへ

1776年 プロイセンのケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)に生まれる。
1778年 両親離婚。母とともに母の実家に引き取られる。
1786年 終生の友となるヒッペルと知り合う。
1792年 一族の伝統に従いケーニヒスベルク大学で法律を学ぶ。
1793年 9歳年上の人妻ドーラ・ハットと恋愛関係に陥る。
1795年 ケーニヒスベルク裁判所で司法官試補となる。
1796年 3月、母の死。6月、ドーラ・ハットと別れてグローガウへ転居。
1798年 従姉のミンナ・デルファーと婚約。ベルリンの大審院で司法官試補となる。フリードリヒ・ライヒャルトに作曲を習う。
1800年 第三次司法試験に合格してポーゼンの裁判所の司法官試補に任命。
1801年 2月、ホフマンの絵と文でポーゼン社交界を風刺した戯画がばらまかれ、ポーランドのプロックへ左遷。3月、ミンナ・デルファーと婚約解消。7月、ポーランド人のミッシャと結婚。音楽に専念。
1804年 政庁顧問官としてワルシャワへ配転。12月歌芝居Singspiel「陽気な楽師たち」の作曲。初めてアマデーウスの名前を使う。
1805年 長女誕生。
1806年 フランス軍進駐。プロイセン政府の解体により失職。
1807年 妻と娘はポーゼンへ。ホフマンはベルリンで貧困と飢餓。8月娘死去。
1808年 バンベルクで音楽監督。再びミッシャと。指揮者デビュー失敗。
1809年 「音楽新報」に頻繁に執筆。
1811年 歌のレッスンの教え子ユーリア・マルクへの愛めばえる。
1812年 ユーリア・マルク結婚。
1813年 ドレスデンのオペラ団の音楽監督の地位を提供される。ドレスデンで偶然ヒッペルと再会。5月、ナポレオンのドレスデン進撃。10月、ナポレオン敗北。
1814年 「黄金の壺」脱稿。『幻想作品集』第一、第二巻出版。ヒッペル来訪。再就職を強く勧められる。オペラ「ウンディーネ」完成。プロイセン法務省に先ず無給で就職するため、9月、ベルリン到着。『幻想作品集』が文学界で話題となる。
1815年 小説の注文殺到。無給ゆえ、金の為に注文に応じる。『悪魔の霊液』第一巻出版。
1816年 大審院判事に任命さる(有給)。『悪魔の霊液』第二巻出版。「ウンディーネ」初演、好評。
1817年 有能な裁判官と誉れ高い。劇場の火事で「ウンディーネ」の貴重な舞台装置や衣装が焼け、その後上演されず。「砂男」脱稿。
1818年 夏、牡猫を手に入れ〈ムル〉と命名。
1819年 5月、「牡猫ムルの人生観」執筆開始。逮捕された「煽動活動家」たちの釈放を要求する裁定をホフマンが次々に出す。ホフマンと政府および警察が対立。『牡猫ムルの人生観』第一巻刊行。
1820年 初夏、「ブランビラ王女」脱稿。
1821年 愛国者陣営からも批判の的に。大審院上級控訴部へ昇進。11月末〈ムル〉の死。12月、『牡猫ムルの人生観』第二巻刊行。
1822年 「蚤の親方」の原稿、刷り上ったもの、出版人との通信文をプロイセン政府が没収。警察長官カンプツ、ホフマンを厳罰に処すよう要求。ヒッペルが手を回し、事情聴取は延期。「蚤の親方」結末を口述。「従兄の隅の窓」口述。「無邪気」口述。「敵」(未完)口述。
6月25日永眠。
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